ブログ

HOME//ブログ//春、郷愁に包まれて~夕張の記憶と、炭鉱の灯を未来へ

ブログ

春、郷愁に包まれて~夕張の記憶と、炭鉱の灯を未来へ

ごきげんよう モミママです(*^^*)。

ようやく外に出るとポカポカと暖かさを感じる日が増えてきました。
ここから、また雪が降り積もる季節まで
この半年間をどう過ごそうか?と、ワクワクするスタート地点に立つこの時期が、私はとても好きです。

さて、今日はそんな春の始まりに、私のふるさと「夕張」のお話を少しだけ。

夕張といえば、
「メロン」「石炭の歴史村」「幸福の黄色いハンカチ」……
そんなイメージを持たれる方が多いかもしれません。

でも、炭鉱の町での暮らしは、なかなか想像できませんよね。

私は高校を卒業するまでの18年間を、炭鉱町・夕張で過ごしました。
当時は、水道も電気も無料で使い放題。
家に鍵をかける習慣もなく、学校から帰ると同級生たちが家に上がり込んでいる
なんてことも日常茶飯事でした(笑)。

そんな暮らしから一転、卒業後に移り住んだ旭川では、水道光熱費の高さにびっくり。
鍵をかけない生活が通用しないことにも戸惑い、
「北海道第二の都市」と呼ばれる旭川に馴染むまで、少し時間がかかったのを覚えています。

冬になると、家庭には「燃料手当」として石炭が現物支給されました。
ダンプで石炭が運ばれてきて、家の前の石炭庫にスコップで入れなくてはならないんですよ。

うっすらとした記憶ですが、石炭チケットのようなものを見た記憶があります。

中学生まではそれが当たり前で、「デレキ」という炭鉱道具を知らない人はいない時代。
(※デレキとは?ぜひ検索してみてくださいね!)
悪さをすると「デレキで叩くよ!」なんて、どの家でも言われていたものです(笑)。

家の物置には「メロン専用冷蔵庫」が各家庭にあり
農家からハネ品を買ってきて、常に冷蔵庫には5~8個のメロンが入っていて
半切で食べるのは当たりまえ、しかも真ん中の美味しいところだけ食べるという
贅沢な食べ方をしていて、高級品としての有難みは夕張を離れてから知ったほどです。

石炭ストーブで焚くお風呂もまた豪快。
浴室はまるでサウナ状態、温度計なんてないので、熱湯に水を足して温度調整するスタイル。
汗がひかないまま、湯船につかっていた記憶があります。

私の家は沢の近くにあり、両親がセメントで作った小さな池には、
カエルの卵からおたまじゃくし、そしてカエルへと育ち……
それを狙って蛇が出現し、壁には蛇の抜け殻が張り付いていたり、
トイレの前にアオダイショウがとぐろを巻いていたり・・・。

もともと、私がカエルの卵を自転車に乗って、どこかからか持ってきたのが良くなかったのですが
我が家の周りは蛇祭りですよ。

今思えばなんてワイルドな環境だったのでしょう(笑)。

けれども、田舎ならではの人の温かさ。
同級生も近所の方々も、みんな家族のような存在でした。

土地が変わっても、あの頃に感じた「人の温もり」は、今も私の心を優しく満たしてくれています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、少しご案内を・・・。

2025年5月17日(土)、夕張市にて
『ゆうばりアーカイブ2025・春 三菱南大夕張炭鉱 ガス爆発災害から40年を迎えて』
という催しが開催されます。



1985年に発生した三菱南大夕張炭鉱のガス爆発災害から、今年で40年。

あれ?私ったら生まれていなかったんじゃないのかしら(笑)。

アーカイブ映像やスライドを通して、炭鉱と南部地区の当時の記憶を振り返る機会となりそうです。

実はこの炭鉱で、私の父も電気技師、そして災害時の救護隊員として勤務していました。
事故当日、父はたまたま札幌市への出張に出ており、難を逃れましたが、
救護隊の多くの仲間たちが犠牲となり、父は長く胸を痛めていたのを覚えています。

炭鉱閉山後には、父がひとりで残務整理を担当し、
最後にこの炭鉱に鍵をかけて、ひとつの時代に幕を下ろしました。

2020年12月に父が他界した際、
遺品の中からは三菱南大夕張炭鉱にまつわる社史や、坑内の設計図・配線図といった貴重な資料が見つかり、
夕張市に寄贈させていただきました。

父は、いつも勉強をしていました。

「でんけん一級」←未だに正式名称わかりませんが(笑)とか

科学技術庁長官賞を受賞したり←「創意工夫功労者表彰」とメダルの裏に書いているのですが
何を創意工夫したのかがわかっていません(汗)。

子供のころ、よく父親が勉強をしていた姿と、何やら受賞した自慢をされたことの記憶だけで
大人になった今、もう少し父親のことを理解してあげていたら
ここで、もう少しまともな説明ができていたのではなかろうかと反省です(汗)。

 

 

 

高校の先輩でもある夕張市 厚谷市長と

   

 

 



寄贈式は新聞社や雑誌社など集まり、記者会見のようになっていましたが

有難いことに、父親のプライドと共に、夕張市へ運んでいただきました。

現在は夕張市長室で大切に保管されていますが、今後、博物館への移管も予定されています。
機会がありましたら、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。

(※イベント詳細は、添付のチラシをご覧くださいネ!)
SHARE
シェアする
[addtoany]

ブログ一覧